ソフトウェア開発の世界において、「動くコード」を書くことは単なる出発点に過ぎません。真のプロフェッショナルとアマチュアを分ける境界線は、そのコードがどれほど「クリーン」であるか、すなわち、他者(そして未来の自分自身)にとってどれほど理解しやすく、保守しやすいかという点にあります。クリーンコードは単なる美学の問題ではなく、プロジェクトの長期的な成功、開発チームの生産性、そして最終的にはビジネスの健全性そのものを左右する、極めて実践的な規律なのです。
多くの開発者は、締め切りに追われ、機能実装を優先するあまり、コードの品質を二の次にしがちです。しかし、その結果として生み出される「汚いコード」は、技術的負債という名の時限爆弾となります。最初は些細な修正で済んでいたものが、次第にコードの依存関係が複雑に絡み合い、一つの変更が予期せぬ副作用を次々と引き起こすようになります。バグの修正に数週間を要し、新機能の追加はもはや不可能に近い苦行となる。このような状況は、開発者の士気を著しく低下させ、プロジェクトを停滞、あるいは崩壊へと導きます。この記事では、そのような悲劇を回避し、持続可能なソフトウェアを構築するための「クリーンコード」の哲学と、その具体的な実践方法について深く掘り下げていきます。
第一章:命名の原則 ― 意図が伝わる名前
クリーンコードの根幹をなす最も基本的かつ重要な要素は「命名」です。変数、関数、クラス、モジュールに与える名前は、その役割や意図を雄弁に物語るべきです。優れた名前は、コードを読む者に対して、そのコードが何をしているのか、なぜ存在するのかを即座に伝えます。逆に、不適切な名前は混乱と誤解を生み、コードの読解を著しく困難にします。
1.1. 意図を明確にする名前を選ぶ
名前は、それが表す対象の「なぜ」「何を」「どのように」を説明するものでなければなりません。例えば、経過時間を格納する変数に d という名前を付けるのは最悪の選択です。これでは、単位が日(days)なのか、10進数(decimal)なのか、あるいは全く別の何かを指すのか全く分かりません。これを elapsedTimeInDays や daysSinceCreation と命名すれば、その変数が持つ意味と単位が一目瞭然となります。
悪い例:
// d が何を表すのか不明
int d;
// a のリスト?何の?
List<Account> a_list;
良い例:
int elapsedTimeInDays;
int daysSinceModification;
List<Account> flaggedAccounts;
このように、具体的で説明的な名前を付けることで、コメントに頼らずともコードの意図が伝わるようになります。名前を考えるのに数秒、あるいは数分を費やすことをためらってはいけません。その投資は、将来のデバッグや機能追加の際に何倍もの時間となって返ってくるのです。
1.2. 誤解を招く名前を避ける
名前は、その意味するところを正確に表現する必要があります。例えば、複数のアカウントを格納する変数を accountList と命名したとしましょう。しかし、もしその変数の実際の型が List ではなく、Set や単なる配列であった場合、この名前は誤解を招きます。プログラマーは List 型特有のメソッド(例えばインデックスによるアクセス)が使えると期待してしまいますが、実際にはそうではありません。このような場合、型を名前に含めるのではなく、その集合の性質を表す名前、例えば accounts や accountGroup といった名前の方が適切です。
また、hp, aix, sco といった、特定のプラットフォームや文脈でのみ通用するような略語や専門用語も避けるべきです。プロジェクトのメンバーが全員その用語を理解しているとは限りませんし、数年後には誰もその意味を覚えていないかもしれません。
1.3. 意味のある区別をする
同じスコープ内に類似した名前の変数が複数存在する場合、その違いが明確に分かるように命名する必要があります。例えば、productInfo と productData という二つの変数があったとして、その違いは何でしょうか?これでは、どちらをどのような場面で使えばよいのか判断に迷います。もし、一方がデータベースから取得した生のデータで、もう一方がビジネスロジックで加工された情報なのであれば、rawProductData と productViewModel のように、その違いが明確に分かる名前にすべきです。
a1, a2, a3 のような、連番で区別するだけの命名は、思考停止の表れです。これは、変数の役割を真に理解していないことを示唆しています。それぞれの変数が持つ独自の役割を反映した名前を付ける努力をしましょう。
1.4. 発音しやすい名前を選ぶ
意外に思われるかもしれませんが、名前が発音しやすいことは重要です。私たちはコードについて議論する際、声に出してその名前を呼びます。「この `genymdhms`(generation year month day hour minute second)っていう変数が…」と言うよりも、「この `generationTimestamp` っていう変数が…」と言う方が、はるかにスムーズにコミュニケーションが取れます。プログラミングは個人作業であると同時に、チームでの共同作業でもあります。円滑なコミュニケーションは、質の高いソフトウェア開発に不可欠です。
1.5. 検索しやすい名前を選ぶ
コードベースが大きくなるにつれて、特定の変数や関数がどこで使用されているかを検索する機会が増えます。e や i のような一文字の変数は、エディタの検索機能で探すのが非常に困難です。一方で、MAX_RETRY_COUNT のような具体的で長い名前であれば、ほぼ確実に意図した変数だけをヒットさせることができます。マジックナンバー(コード中に直接書かれた意味不明な数値)を定数として抽出し、検索しやすい名前を与えることは、この原則の優れた実践例です。
悪い例:
// 86400 という数字の意味が不明で、検索も困難
if (diff > 86400) {
// ...
}
良い例:
const SECONDS_IN_A_DAY = 86400;
if (diff > SECONDS_IN_A_DAY) {
// ...
}
1.6. クラスとメソッドの命名規則
一般的に、クラスやオブジェクトの名前は名詞または名詞句であるべきです。Customer, Account, AddressParser などがそれに当たります。アプリケーションの主要な構成要素を表現するため、具体的で実体のある名前が望ましいです。Manager, Processor, Data のような曖昧な名前は、そのクラスの責任が不明確であることを示唆しており、避けるべきです。
一方、メソッド(関数)の名前は動詞または動詞句であるべきです。postPayment(), deletePage(), save() のように、何らかの操作を行うことを示す名前が適切です。アクセサ(getter)、ミューテータ(setter)、述語(predicate)には、それぞれ get, set, is といった接頭辞を付けるという慣習に従うと、コードの可読性がさらに向上します。
これらの命名規則は、単なる慣習以上の意味を持ちます。それは、コードを読む者が最小限の認知負荷でプログラムの構造と動作を理解するための、共通の語彙体系なのです。
第二章:関数の設計 ― 小さく、一つのことだけを
関数は、プログラミング言語における最も基本的な構成単位です。優れた関数設計は、クリーンコードの核心をなします。関数に関する最も重要なルールは、二つあります。「小さくすること」そして「一つのことだけをさせること」です。
2.1. 単一責任の原則 (Single Responsibility Principle - SRP)
ソフトウェア設計における有名な原則の一つに、単一責任の原則(SRP)があります。これはクラスに対して語られることが多いですが、関数にも全く同じことが言えます。「関数は、一つのこと、そしてそのことだけを、うまくやるべきである。」
一つの関数が、設定の読み込み、データの検証、ビジネスロジックの実行、結果のフォーマット、そしてデータベースへの保存といった複数の処理をすべて行っているとしたら、それはSRPに著しく違反しています。このような関数は、理解が困難で、テストが書きにくく、修正が非常に危険です。一部のロジックを変更しただけで、全く関係ないはずの他の部分に影響が及ぶ可能性があるからです。
悪い例: 複数の責任を持つ巨大な関数
def handle_user_registration(request_data):
# 1. データの検証
username = request_data.get('username')
password = request_data.get('password')
if not username or len(username) < 4:
return {'error': 'Invalid username'}
if not password or len(password) < 8:
return {'error': 'Password too short'}
# 2. パスワードのハッシュ化
salt = os.urandom(16)
hashed_password = hashlib.pbkdf2_hmac('sha256', password.encode('utf-8'), salt, 100000)
# 3. データベースへの保存
try:
conn = get_db_connection()
cursor = conn.cursor()
cursor.execute("INSERT INTO users (username, password_hash, salt) VALUES (?, ?, ?)",
(username, hashed_password, salt))
conn.commit()
except DatabaseError as e:
conn.rollback()
# 4. エラーロギング
log_error(f"Failed to register user {username}: {e}")
return {'error': 'Database operation failed'}
finally:
if conn:
conn.close()
# 5. ウェルカムメールの送信
send_welcome_email(username)
return {'success': True, 'username': username}
上記の関数は、少なくとも5つの異なる責任(検証、ハッシュ化、DB操作、ロギング、メール送信)を負っています。これをリファクタリングし、それぞれの責任を個別の小さな関数に分割してみましょう。
良い例: SRPに従って分割された関数群
# --- 検証ロジック ---
def validate_registration_data(data):
username = data.get('username')
password = data.get('password')
if not username or len(username) < 4:
raise ValueError('Invalid username')
if not password or len(password) < 8:
raise ValueError('Password too short')
# --- パスワード処理 ---
def hash_password(password):
salt = os.urandom(16)
hashed_password = hashlib.pbkdf2_hmac('sha256', password.encode('utf-8'), salt, 100000)
return hashed_password, salt
# --- データベース操作 ---
def save_user_to_db(username, hashed_password, salt):
with get_db_connection() as conn:
try:
cursor = conn.cursor()
cursor.execute("INSERT INTO users (username, password_hash, salt) VALUES (?, ?, ?)",
(username, hashed_password, salt))
conn.commit()
except DatabaseError as e:
conn.rollback()
# エラーをより抽象的な例外にラップして再送出
raise PersistenceError(f"Failed to save user {username}") from e
# --- 上位レベルの調整役関数 ---
def register_user(request_data):
try:
validate_registration_data(request_data)
username = request_data.get('username')
password = request_data.get('password')
hashed_password, salt = hash_password(password)
save_user_to_db(username, hashed_password, salt)
send_welcome_email(username) # メール送信は非同期処理が望ましい
return {'success': True, 'username': username}
except (ValueError, PersistenceError) as e:
log_error(str(e))
return {'error': str(e)}
リファクタリング後のコードは、一見すると長くなったように見えます。しかし、それぞれの関数は一つのことしか行わないため、格段に理解しやすくなりました。validate_registration_data 関数を読めば、検証ロジックだけを理解できます。save_user_to_db はDB操作にのみ責任を持ちます。そして、register_user 関数は、これらの小さな関数を呼び出すことで、処理全体の流れ(抽象化レベル)を明確に示しています。これにより、各関数は独立してテスト可能になり、再利用性も向上します。
2.2. 関数の引数
理想的な関数の引数の数は、0個(ゼロ引数)です。次に良いのが1個(単項)、その次が2個(二項)です。3個(三項)以上の引数を持つ関数は、特別な理由がない限り避けるべきです。引数が増えれば増えるほど、関数を呼び出す際の組み合わせが爆発的に増加し、テストが困難になります。
多くの引数が必要になる場合、それは引数同士に関連性があることを示唆しています。そのような場合は、引数を一つのオブジェクトにまとめることを検討しましょう。例えば、円を描画する関数 drawCircle(x, y, radius, color, style) は、引数が多すぎます。これを drawCircle(circleAttributes) のように変更し、CircleAttributes というクラスや構造体に x, y, radius などをまとめると、コードがすっきりとします。
フラグ引数(真偽値の引数)も避けるべきです。フラグ引数は、その関数が二つ以上の異なることを行っている証拠です。例えば calculate(shouldCalculateTotal) という関数は、shouldCalculateTotal が true の場合と false の場合で異なる処理をします。これはSRP違反です。calculateSubtotal() と calculateTotal() のように、二つの独立した関数に分割すべきです。
2.3. 副作用をなくす
副作用とは、関数のスコープ外にある何らかの状態を変化させることです。例えば、グローバル変数を変更したり、引数として渡されたオブジェクトの状態を直接書き換えたりすることがこれに当たります。副作用のある関数は、呼び出しのタイミングや順序によって結果が変わり得るため、挙動を予測するのが非常に困難です。
副作用のある関数の例:
public class UserValidator {
private String errorMessage;
public boolean validate(User user) {
if (user.getName() == null) {
this.errorMessage = "Name cannot be null."; // 副作用: クラスのフィールドを変更
return false;
}
// ... more validations
return true;
}
}
この validate メソッドは、検証結果を返すだけでなく、クラスのインスタンス変数である errorMessage を変更するという副作用を持っています。このメソッドを呼び出す側は、errorMessage フィールドの状態を常に意識しなければなりません。
これを改善するには、関数が情報を返す方法を戻り値に統一します。これはコマンド・クエリ分離(CQS)の原則にも通じます。つまり、状態を変更する関数(コマンド)と、情報を返す関数(クエリ)は明確に分離すべきである、という考え方です。
副作用のない(純粋に近い)関数の例:
public class UserValidator {
public ValidationResult validate(User user) {
if (user.getName() == null) {
return ValidationResult.invalid("Name cannot be null.");
}
// ... more validations
return ValidationResult.valid();
}
}
このバージョンでは、validate メソッドは検証結果(成功か失敗か、そして失敗の場合はその理由)を含む ValidationResult オブジェクトを返します。これにより、メソッドの呼び出しが外部の状態に影響を与えることはなくなり、コードの挙動が予測しやすくなります。
第三章:コメントの功罪 ― コードで語る努力
多くの初心者は「良いコードとは、たくさんのコメントが付いているコードだ」と信じています。しかし、クリーンコードの哲学では、この考え方は根本的に否定されます。コメントは、多くの場合、コードで意図を表現できなかったことへの「失敗」の印なのです。
コードは時間と共に変化し続けますが、コメントは忘れ去られ、コードの実態と乖離していくことが頻繁にあります。古くて誤ったコメントは、コメントがないことよりも遥かに有害です。それは、コードを読む者を積極的に欺き、誤った方向へと導くからです。
したがって、私たちの第一目標は、コメントを書くことではなく、コメントがなくても理解できる、自己説明的なコードを書くことであるべきです。前述した「命名の原則」や「関数の設計」は、まさにそのためのテクニックです。
3.1. 避けるべき悪いコメント
- 冗長なコメント: コードを読めばすぐに分かることを、わざわざ自然言語で繰り返すコメントは無意味です。
i++; // iをインクリメントする - 誤解を招くコメント: コードの実態と異なる内容を記述している、最も有害なコメント。
- コメントアウトされたコード: 古いコードを残しておきたいのであれば、コメントアウトではなくバージョン管理システム(Gitなど)を使うべきです。コメントアウトされたコードは、コードベースにノイズを撒き散らし、可読性を著しく低下させます。
- 変更履歴(ジャーナル)コメント: 誰がいつ、どのような変更を加えたかを記録するのは、バージョン管理システムの役割です。
// 2023-10-27 John Doe: バグ #123 のためタイムアウト値を変更 // 2023-05-11 Jane Smith: 初期実装
3.2. 許容される良いコメント
もちろん、全てのコメントが悪というわけではありません。いくつかの状況では、コメントは有用であり、必要でさえあります。
- 法的コメント: 著作権やライセンス情報など、法的に要求されるコメント。
// Copyright (c) 2023 Your Company. All rights reserved. // Use of this source code is governed by a BSD-style license. - 意図の説明: なぜそのように実装したのか、という「理由」を説明するコメント。特に、一見すると非効率に見えたり、奇妙に見えたりするコードの背後にあるトレードオフや設計判断を説明する場合に有効です。
// パフォーマンス上の理由から、ここではクイックソートではなく、敢えて挿入ソートを使用している。 // なぜなら、対象となるデータセットは常にほぼソート済みであることが保証されているため。 - TODOコメント: 現時点では実装できないが、将来的には対応が必要なタスクを示すためのマーカー。ただし、TODOは定期的にレビューし、対応するか削除するかを判断する必要があります。放置されたTODOは技術的負債となります。
// TODO: サードパーティAPIのレートリミットに対応する必要がある - APIドキュメント(Javadocsなど): 公開APIの仕様を説明するための、規律ある形式に則ったコメント。これは、コードの内部実装ではなく、外部からの利用方法を説明するものです。
コメントを書きたくなったら、まずは一歩立ち止まって考えてみてください。「このコメントは本当に必要か?」「この意図をコード自身で表現することはできないか?」と。多くの場合、関数を分割したり、変数の名前を改善したりすることで、コメントの必要性はなくなるはずです。
第四章:フォーマットと構造 ― 整然としたコードは信頼を生む
コードのフォーマット、つまり見た目の整形は、機能的な動作には一切影響を与えません。コンパイラやインタプリタは、インデントが崩れていようが、改行がなかろうが、構文的に正しければコードを実行します。しかし、人間にとっては、フォーマットは可読性に極めて大きな影響を与えます。
整然とフォーマットされたコードは、プロフェッショナルな仕事の証です。それは、書き手が細部にまで気を配り、コードの読み手に対して敬意を払っていることを示します。逆に、一貫性のない雑なフォーマットは、コードの品質そのものに対する疑念を抱かせます。
4.1. 縦方向のフォーマット
縦方向のフォーマットは、ファイル内でのコードの配置に関わります。重要な原則は「関連するコードは近くに、関連しないコードは遠くに配置する」ということです。
- 垂直方向の近さ: ある関数が別の関数を呼び出す場合、可能であれば呼び出す側(上位の抽象レベル)を上に、呼び出される側(下位の抽象レベル)を下に配置すると、上から下へと自然に読み進めることができます。
- 空行による分離: 論理的に異なる処理の塊は、空行を使って視覚的に分離すべきです。変数宣言のブロック、ビジネスロジックのブロック、戻り値のブロックなどを空行で区切ることで、コードの構造が明確になります。
- 垂直方向の密度: 関連性の強いコード行は、間に空行を入れずに密集させるべきです。これにより、それらが一つの概念的な塊であることが視覚的に伝わります。
4.2. 横方向のフォーマット
横方向のフォーマットは、一行の中でのコードの配置に関わります。
- 行の長さ: 一行の長さは、適度な長さに保つべきです。一般的には80文字から120文字程度が推奨されます。長すぎる行は、水平スクロールを必要とし、コードの全体像を把握するのを困難にします。
- インデント: インデントは、コードの階層構造を視覚的に表現するための最も重要なツールです。インデントのスタイル(スペースかタブか、幅はいくつか)は、プロジェクト全体で統一する必要があります。
- スペース: 演算子の前後、カンマの後など、適切な場所にスペースを入れることで、コードの要素が区切られ、読みやすくなります。
a=b+c;よりもa = b + c;の方が遥かに読みやすいのは明らかです。
4.3. チームでの規約の統一
フォーマットにおいて最も重要なことは、チーム全体で一貫した規約に従うことです。個々人が自分の好きなスタイルでコードを書くと、コードベース全体が混沌としたものになります。
幸いなことに、現代の開発環境では、この問題を自動的に解決するツールが数多く存在します。Prettier, ESLint, Checkstyle, RuboCop といったリンターやフォーマッターを導入し、コミット時に自動的にコードが整形されるように設定することで、フォーマットに関する無益な議論をなくし、チーム全員が常に一貫したスタイルのコードを生み出せるようになります。これらのツールを導入することは、クリーンコードを実践する上で、最も費用対効果の高い投資の一つと言えるでしょう。
第五章:エラーハンドリングと境界 ― 堅牢なコードの礎
どんなに完璧に書かれたコードでも、予期せぬ事態は発生します。ネットワークが切断されたり、ファイルが見つからなかったり、ユーザーが無効なデータを入力したりします。堅牢なソフトウェアは、これらのエラー状況を適切に処理し、正常な状態を維持する能力を持っています。クリーンなエラーハンドリングは、主要なビジネスロジックとエラー処理のロジックを明確に分離することから始まります。
5.1. 例外をエラーコードの代わりに使用する
古いスタイルのプログラミングでは、関数がエラーコード(特定の整数値やnullなど)を返すことでエラーを通知する手法がよく用いられていました。しかしこの手法には大きな問題があります。それは、関数の呼び出し元が、戻り値を毎回チェックし、エラーコードに応じた分岐処理を書くことを強制される点です。これにより、コードの主要なロジックが、エラー処理のための if-else 文で埋め尽くされてしまいます。
悪い例: エラーコードによる処理
public int performAction() {
int errorCode = stepOne();
if (errorCode != 0) {
return errorCode;
}
errorCode = stepTwo();
if (errorCode != 0) {
return errorCode;
}
// ...
return 0; // Success
}
現代的な言語の多くが提供する「例外処理」の仕組みを使えば、この問題をエレガントに解決できます。正常系の処理と異常系の処理を分離できるのです。
良い例: 例外による処理
public void performAction() throws StepOneException, StepTwoException {
stepOne();
stepTwo();
// ...
}
// 呼び出し側
try {
controller.performAction();
} catch (StepOneException e) {
logger.error("Step one failed", e);
// Handle error for step one
} catch (StepTwoException e) {
logger.error("Step two failed", e);
// Handle error for step two
}
try ブロックの中には、正常系の処理フローだけを記述できます。これにより、コードの主要なロジックが非常に読みやすくなります。エラーが発生した場合は、実行フローが適切な catch ブロックにジャンプし、そこで集中的にエラー処理が行われます。
5.2. nullを返さない、渡さない
null は「プログラミングにおける10億ドルの過ち」とも呼ばれます。null を返すAPIは、呼び出し元に null チェックを強制します。もしこのチェックを怠れば、悪名高い NullPointerException やそれに類する実行時エラーが発生します。null を許容するコードは、至る所に if (variable != null) という防御的なコードを散りばめることになります。
この問題を回避するための代替策はいくつかあります。
- 空のコレクションを返す: オブジェクトのリストを返すメソッドが、結果がない場合に
nullを返すのではなく、空のリスト([])を返すようにします。これにより、呼び出し元はnullチェックをせず、常にコレクションとして安全にループ処理などを行えます。 - 特殊ケースオブジェクト(Null Object パターン): 「何もしない」という振る舞いを持つ、特別なオブジェクトを返す方法です。例えば、ユーザーが見つからなかった場合に
nullを返す代わりに、isGuest()が true を返すようなGuestUserオブジェクトを返すことができます。 - Optional(Option)型: Java 8+ や Scala, Rust といった言語では、値が存在しない可能性を明示的に示すための
Optional型が提供されています。これは、値が存在するかどうかをコンパイル時にチェックすることを強制し、nullの危険性を大きく低減させます。
5.3. 境界を明確にする
私たちが作成するソフトウェアは、外部のAPIやライブラリ、データベースといった、自分たちではコントロールできない要素と連携して動作します。これらの「境界」では、データの形式や振る舞いが私たちの期待通りであるとは限りません。
クリーンなアプローチは、これらの境界を明確に意識し、外部のコードを直接システム全体に浸透させないようにすることです。これは、アンチコラプションレイヤー(Anti-Corruption Layer)やアダプターパターンといった設計パターンによって実現できます。
例えば、外部のAPIから取得した複雑なJSONデータを、システム内のいたるところで直接参照するのではなく、まず最初に自システムのドメインモデルに合った、シンプルでクリーンなオブジェクトに変換します。この変換処理を行う「アダプター」を境界に配置することで、外部APIの仕様変更がシステム全体に及ぶのを防ぎ、アダプター内部だけの修正で済むようになります。また、外部ライブラリのAPIを直接呼び出すのではなく、それをラップした独自のインターフェースを定義することで、将来的に別のライブラリに乗り換えることが容易になります。
結論:クリーンコードはプロフェッショナルの責務
クリーンコードとは、単一の技術や特定のルールセットではありません。それは、ソフトウェア開発という知的労働に対する姿勢であり、一種の職人倫理です。それは、コードは一度書いたら終わりではなく、将来にわたって読み、修正し、拡張し続けるものであるという事実を深く理解することから始まります。
汚いコードは、プロジェクトの進行を遅らせ、バグの温床となり、開発者のモチベーションを奪います。締め切りが厳しいからといって品質を犠牲にすることは、短期的には利益があるように見えても、長期的には遥かに大きな代償を支払うことになります。速く進むための唯一の方法は、常によく手入れされた、クリーンなコードを保ち続けることです。
本稿で紹介した原則――意図の伝わる命名、小さく単一責任の関数、コードで語る姿勢、一貫したフォーマット、堅牢なエラーハンドリング――は、そのための具体的な道筋です。これらの原則を日々のコーディングの中で意識し、実践し続けることが重要です。有名な「ボーイスカウトのルール」を心に留めておきましょう。「来た時よりもきれいにせよ。」 チェックインするコードは、チェックアウトした時よりも少しでもクリーンな状態にする。この小さな積み重ねが、やがてはコードベース全体の健全性を保ち、持続可能なソフトウェア開発を実現するのです。
クリーンコードを書くことは、他者への、そして未来の自分自身への思いやりです。それは、ソフトウェア開発という創造的な活動を、混沌とした苦行から、秩序だった楽しいものへと変える力を持っています。そしてそれこそが、私たちが目指すべきプロフェッショナルの姿なのです。
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