巨大なモノリシックアプリケーション(Monolith)の運用限界は、多くの成長企業が直面する共通の課題です。デプロイサイクルの長期化、スケーラビリティの欠如、技術的負債の蓄積はビジネスのアジリティを著しく阻害します。しかし、既存システムを完全に廃棄してゼロから作り直す「ビッグバン(Big Bang)アプローチ」は、極めて高い失敗率を伴います。本稿では、稼働中のシステムを維持しながら段階的に機能を切り出す「ストラングラーフィグパターン(Strangler Fig Pattern)」のアーキテクチャ設計と、その実装における技術的トレードオフについて論じます。
1. ストラングラーフィグパターンのアーキテクチャ原則
ストラングラーフィグパターンは、マーティン・ファウラー氏によって提唱された移行戦略であり、既存のモノリス(宿主)の周囲に新しいマイクロサービス(絞め殺す植物)を徐々に構築し、最終的に旧システムを置き換える手法です。このアーキテクチャの核となるのは、トラフィックを制御する「ルーティングファサード(Routing Facade)」またはAPIゲートウェイの存在です。
移行の初期段階では、すべてのリクエストは既存のモノリスへルーティングされます。新機能をマイクロサービスとして実装、あるいは既存機能を切り出した後、プロキシ層で特定のエンドポイントへのトラフィックを新サービスへ振り向けます。この手法の最大の利点は、リファクタリングのリスクを機能単位に限定できる点と、いつでもロールバック可能な状態を維持できる点にあります。
2. ルーティング戦略とトラフィック制御の実装
実際の移行プロセスにおいて、最もクリティカルな実装はルーティングルールの定義です。URIパスベース、ヘッダーベース、あるいはクッキーベースでの段階的なカナリアリリース(Canary Release)を設計する必要があります。
以下は、Nginxを使用したシンプルなストラングラーフィグの実装例です。レガシーシステムへのデフォルトルートを維持しつつ、特定の新機能(例: 注文サービス)のみを新しいマイクロサービスへプロキシします。
upstream legacy_monolith {
server 10.0.1.10:8080;
}
upstream new_order_service {
server 10.0.2.20:3000;
}
server {
listen 80;
server_name api.example.com;
# 1. 新しい注文サービスの切り出し
# 特定のパスのみ新サービスへルーティング
location /api/v2/orders {
proxy_pass http://new_order_service;
# トレーサビリティのためのヘッダー付与
proxy_set_header X-Migration-Stage "strangler";
proxy_set_header X-Original-URI $request_uri;
}
# 2. デフォルトはレガシーモノリスへ
location / {
proxy_pass http://legacy_monolith;
}
}
この構成により、クライアント側(Frontend/Mobile App)に変更を強いることなく、バックエンドの刷新が可能になります。しかし、単純なHTTPルーティングだけでは解決できない問題があります。それが「データ所有権」の問題です。
3. データベース分離と腐敗防止層(ACL)
ロジックの分離よりも遥かに困難なのが、データベースの分離です。モノリス移行において、初期段階では新旧システムが同じデータベースを参照する「共有データベース(Shared Database)」パターンを採用せざるを得ないケースが多く存在します。しかし、これはマイクロサービスの原則である「疎結合」に違反します。
安全なデータ移行のためには、アプリケーションコード内に「腐敗防止層(Anti-Corruption Layer: ACL)」を設けることが推奨されます。ACLは、新しいドメインモデルと古いデータベーススキーマ間の変換を担い、新サービスがレガシーなデータ構造に汚染されるのを防ぎます。
| フェーズ | データアクセス戦略 | メリット | リスク・デメリット |
|---|---|---|---|
| Phase 1 | 共有データベース | 実装が容易。即時整合性が保たれる。 | スキーマ変更が双方に影響。結合度が高いまま。 |
| Phase 2 | データベース・ビュー活用 | レガシーテーブルを隠蔽し、新サービス用IFを提供。 | パフォーマンスへの影響。根本的な分離ではない。 |
| Phase 3 | デュアルライト(Dual Write) | 新旧DBの並行稼働による完全な分離準備。 | 書き込み整合性の担保が複雑(分散トランザクション等)。 |
| Phase 4 | CDC(Change Data Capture) | 非同期でのデータ同期。疎結合の実現。 | 結果整合性への対応が必要。インフラコスト増。 |
4. シャドートラフィックによる検証
本番環境への投入前に、新しいマイクロサービスの信頼性を検証するための手法として「シャドートラフィック(Shadow Traffic)」が有効です。これは、実際のユーザーリクエストを複製し、結果をユーザーに返さずに新サービスへ送信する手法です。
Service Mesh(IstioやLinkerd)を使用すれば、コードを変更せずにネットワーク層でミラーリング設定が可能です。これにより、本番相当の負荷に対するパフォーマンス特性や、レガシーシステムとのレスポンス内容の差異(Diff)を確認できます。
apiVersion: networking.istio.io/v1alpha3
kind: VirtualService
metadata:
name: order-service-route
spec:
hosts:
- order-service
http:
- route:
- destination:
host: legacy-monolith
subset: v1
weight: 100
mirror:
host: new-microservice
subset: v1
mirrorPercentage:
value: 100.0
この設定により、既存システムへの影響をゼロにしつつ、新システムのデータ整合性とエラーレートを監視(Observability)することが可能になります。検証が完了した時点で、トラフィックの重み付け(Weight)を徐々に新システムへ移行します。
結論: 複雑性とのトレードオフ
ストラングラーフィグパターンは、リスクを最小化する優れた戦略ですが、移行期間中は「新旧2つのシステムの運用」というコストが発生します。一時的にシステム全体の複雑性は増大し、デバッグやモニタリングの難易度も上がります。エンジニアリングチームは、この過渡期の複雑性を許容し、明確な「削除計画(Decommissioning Plan)」を持ってプロジェクトを推進する必要があります。完全なマイクロサービス化が目的ではなく、ビジネスのアジリティ向上が目的であることを常に意識し、適切な粒度でのサービス分割を行ってください。
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